プロフィールでは、いわゆる履歴書のような堅苦しい内容となってしました。
自分自身の人生を振り返り整理する為にも、各項目を少しずつ掘り下げてみようと思います。
今回は、私の学歴に関して振り返ってみたいと思います。
小学時代
プロフィールには記していませんが、私は東京都で生まれたあと5歳の時に父親の実家である福井県に移住してきました。
いわゆるお受験とは無縁の生活で最低限の勉強しかしない子でしたが
この時期に私にとって大きな出来事である「陸上競技との出会い」がありました
きっかけは、小学生の時に体育の授業の一環で地元の小学校の陸上競技の大会に出たことです。
陸上競技は、走ったり(短距離走・長距離走)・跳んだり(走幅跳・走高跳)・投げたりと
様々な運動の基本的となるようなスポーツです。半分体力測定のような形で、各種目を授業中に取り組んでいき
希望者は、秋に市内の小学生の集まる大会に出場してみる。そんな流れだったかと思います。
当時私は、父親の影響で少し格闘技をかじりましたが長続きせず、マンガ読むか、ゲームするか
ザリガニ採りに行くか、といった生活で、スポーツとは縁遠い人間でした。
ただ、当時は背の高い方だったので、走高跳が周りより少し高く跳べました。そこで、担任の先生が
「遼、走高跳にでてみないか?」と誘ってくれたことで、私は市の大会に挑戦してみる事となりました。
それほど、熱心に練習したわけではありません。大会の結果も良く覚えていません。
ただ、なんとなく「楽しいな」と思えました。
この経験がきっかけで、私は中学校の部活動を選ぶときに、なんとなく陸上部を選んだのでした。
何気ない決断ですが、この選択は私の人生の中で大きな影響を持つ事となりました。
中学時代
中学校の陸上部の顧問は、今は福井県の陸上競技協会で上のポジションに立っている様な方です。
当時の先生の口癖は「人生、迷ったら苦しい方を選べ!」厳しくも優しい方でした笑
その言葉の通り、苦しくも楽しい陸上競技人生を私はスタートさせ、そこから私の学生生活は一気に陸上競技に染まりました。
中学生の時、私は全国大会に一度だけ出場する事が出来ましたが、全国のトップ選手達と渡り合える選手ではありませんでした。
そんな私に、顧問の先生は「お前みたいな奴が、いつかオリンピックに行くんや!」と声をかけてくれました。
何故そんな話になったのか覚えていないのですが、この言葉だけは大人になった今も胸の中に残っています。
ちなみに当事者の先生は「申し訳ないが記憶にない」と忘れていました苦笑
何気ない大人の一言だったのかもしれませんが、「自分の可能性を信じてくれる人がいる」というのは
子どもながらに非常にインパクトのある経験でした。
今、私自身は理学療法士・トレーナーの立場から大人として子ども達に接しています。
中学時代を振り返り、何気ない大人の言葉が子どもにとっては大きな影響がある事を再確認させられました。
ちなみにオリンピックに陸上競技選手として参加する事は叶いませんでしたが
私は別の形でオリンピックに行く事となります。
それは別の機会にまとめたいと思います。
高校時代
私が中学3年生の時に、陸上部の顧問の先生が同じ地区の敦賀高校に異動となりました。
敦賀高校は全国で入賞・優勝するような選手を輩出する名門校。私は敦賀高校で陸上競技を続けたいと思いました。
当時私の地区の高校受験なんて、あって無いようなもので、そうそう落ちる事はありませんでしたが
私は「絶対落ちたくない!」と必死に受験勉強に取り組んでいきました。
その為、図らずしも高校入試の成績は良く、まさかの進学クラスに編入させられてしまいました苦笑
しかし、入学前のアンケートで
「私は高校では陸上競技に打ち込みたいので、進学クラスは希望しません」
と自分の意思を表明していたのに、進学クラスに編入させられた私は入学式で激怒し
入学式当日に職員室に文句を言いに殴り込みに行きました。
もちろん入学後にクラス替えなど出来るはずもなく、私は意固地になって反発し全く勉強のしない学生となってしまいました。
その分、陸上競技に没頭しました。周囲のレベルの高さに打ちのめされながらも
毎日必死に練習に励み、初めて国体の選手として選ばれ県の代表として大会に出場する機会を得ました。
しかし、私は怪我に苦むことが多く伸び悩んでいきました。そして高校2年生の冬の段階で
「自分は陸上選手として大学に呼ばれる可能性は低いだろう」
↓
「でも、陸上競技を続けたいし、陸上競技に関わりたい」
↓
「指導者を目指すのは何か違うな」
↓
「そうだ、自分で自分の身体をメンテナンスしながら競技を続けよう」
↓
「その為に医療の分野の知識が必要だろうけど、医師は現実的じゃないな」
↓
「怪我の後のリハビリに関わる理学療法士?こんな仕事があるのか!?」
↓
という思考回路をたどり、理学療法士の知識や技術があれば「自分で自分の身体を面倒見ながら陸上競技を続けられる」と思い
理学療法士を目指すための受験勉強を始めました。教科担任の先生方に今までの不勉強を謝罪し
人が変わったかのように勉強に励みました。多分、陸上・食事・入浴・睡眠以外の時間は全て勉強していたと思います。
そして、努力のかいもあって広島大学に合格する事が出来ました。
「努力が全て報われるとは限らない」というスポーツの厳しい世界と違って、努力すればある程度
報われる「受験勉強」の世界はなんて楽なんだろう。と当時は考えていましたが
ここも、社会人としての生活・大学院での生活の中で
義務教育での勉強と、社会で求められる学びは、重なる部分もあるが決して同じようなものではない。
という事を後になって痛感させられる事となります。
大学時代
私が広島大学に進学したのは、リハビリテーションに携わる理学療法士の世界の中でも、特にスポーツに精通した分野を学ぶ事が目的でした。
解剖学・生理学・運動学といった人間の身体の仕組み
様々な病気や怪我に関する医学的知識
理学療法における様々な手段についての知識や技術
こういった理学療法士になるための基本的な勉強と共に、スポーツの分野に関しては
先輩や大学院生の中に混じって追加の講義を受けたりしていました。
それに加えて、慣れない1人暮らしや生活費を確保する為のアルバイト
その傍ら、全国各地から集まった大勢の学生と学校行事の運営に携わり
今まで陸上競技一色だった私の世界は一気に広がりました。
今まで私の人生の物差しは「部活動の成績」「学校の授業の成績」くらいのもので
非常に狭い範囲の価値観でしか物事をみられていませんでした。大学時代に様々な経験を
したおかげで、世の中には沢山の価値観がある事を知りました。陸上競技に関しては
学業やアルバイトとの両立が難しく、いわゆるインカレを目指している体育会の部活ではなく
医学系の学生が集まっている陸上部に入り、無理のないペースで競技を続けていきました。
自分のやるべき事を自分で決めて生活していくのは大変でしたが、良い大学時代を過ごせました。
陸上競技に関しても、勝負事や記録へのプレッシャーから解放されて
自分の陸上を心から楽しんで取り組めていたように思います。
社会人~大学院
大学を卒業するころには「自分で自分の身体を面倒見ながら競技を続けたい」という思いだけでなく
「スポーツ現場で選手を支えるトレーナーとして働きたい」という考えも芽生えてきました。
これは、大学時代に実際にスポーツの現場でトレーナーとして働いている方々と接した事がきっかけです。
そこで私は
・スポーツ選手に特化したリハビリテーションを実施している
・病院外でトレーナーとしての活動も経験できる
・日本だったらどこでも良い
という基準で全国の様々な病院を巡り、最終的に「ここだ」と決めた佐賀県の整形外科医院に勤務しました。
ここでの12年間は、とても文章にまとめきれないので、今後小出しにしていきたいと思います苦笑
社会人となり学校から離れた訳ですが、むしろ社会人なってからが一番勉強しています。
大学までは「学ぶべき事」も「学ぶ方法」も、だいたい提示してもらえます。
あとは、本人の能力に差はあれど「やるか・やらないか」の部分が大きく
「物事を学ぶ流れ」をひたすら繰り返して頭と体に叩き込んできたように私は思います。
しかし、社会にでるとそうはいきません。もちろん指導してくれる先輩方はいますが
一から十まで手とり足とり教えてくれるわけではありません。
・そもそも自分は何が分からないのか?
・何を調べれば良いのか?
・どうゆう手段で調べれば良いのか?
・調べた内容をどう生かすのか?
・その結果をどう検証するのか?
最終的には全て「自分で考えて」一つ一つ段階を追っていかなくてはいけません。
ただひたすらに努力を重ねれば何とかなった学生時代と異なり、努力の方向性を間違えたら
最悪、逆効果にすらなってしまう社会での学びに、私は大いに打ちのめされました。
新人の頃は「学校で勉強してきた事、何にも役立たない」と愚痴ばかり言っていましたが
学校での勉強は、ちゃんと私自身の糧になっていたのに、それを上手く自分自身で整理して
自分の考え方をまとめる事が出来ていなかっただけなのだと思います。
そんな中、私は社会人として大学院に進学する事となりました。
大学院
特に医療の現場では「Evidence-Based Medicine:EBM」という
「根拠に基づく治療」という考え方が重要視されています。
このEMBについて、学ぶため私は社会人として働きながら大学院に進学しました。
私は2年間の修士課程を修了しましたが、2年間をまとめると
「学問の世界は奥が深すぎる」
「自分は学問の世界の入り口を少し除いた程度」
というのが感想です苦笑
とてもじゃないが「私は大学院を出たので、研究が出来ます」なんて偉そうな事は言えません。
おそらく博士課程まで修了してはじめて、研究者といえるのだと思いますが
個々から先の世界に関しては私が言及できるものではありません。
しかし修士課程とはいえ、大学院と通して様々な事を学ぶ事が出来ました。
当サイトを中で、表現しやすい分かりやすい成果として
「様々な論文を元にして、物事を多面的に考える事が出来るようになった」
ことに関しては自信を持てるようになったので、今後少しずつ還元していきたいと考えています。
さいごに
学歴と言いつつ、半分くらい陸上の話になってしまいましたが苦笑
私の学生生活の半分以上は陸上競技でできているのだな。と自分でも改めて感じました。
まだまだ文章をまとめる作業になれないので、もう一時は
自分の個人的な事を記していこうと思います。